私の母は、昔からお洒落な人だった。白髪一本見つければ、すぐに鏡台の前に座り、慣れた手つきで白髪染めをしていた。そんな母の口癖は、「白髪があるだけで10歳は老けて見えるからね」だった。しかし、60歳を過ぎた頃からだろうか。母は、白髪染めをした後、きまって「なんだか頭がかゆい」とこぼすようになった。私が「一度、皮膚科に行ってみたら?」と勧めても、「大丈夫、いつものことだから」と、取り合ってはくれなかった。白髪がある自分を許せない母にとって、染めるのをやめるという選択肢はなかったのだ。その「いつものこと」が、悲劇に変わったのは、ある夏の日のことだった。白髪染めをした翌日、母の顔は、まるで別人のようにパンパンに腫れ上がっていた。特にまぶたの腫れはひどく、目がほとんど開かない状態。頭皮は真っ赤にただれ、黄色い汁が出ていた。慌てて駆け込んだ皮膚科で告げられた診断は、「重度のアレルギー性接触皮膚炎」。原因は、長年使い続けた白髪染めに含まれるジアミンだった。医師からは、「もう二度と、普通の白髪染めは使えません」と、厳しい言葉を宣告された。それからの母は、まるで抜け殻のようになってしまった。大好きだった友人とのランチも断り、家に引きこもりがちになった。皮膚炎の治療で抜け毛も増え、髪は見るからに薄くなった。あれほど気にしていた白髪は、根元からくっきりと伸びて、まだらに色づいた毛先とのコントラストが、痛々しさを際立たせていた。母は、鏡を見るたびに「あの時、かゆいのを我慢しなければ…」と、何度も後悔の言葉を口にした。母のケースは、私たちに重要な教訓を教えてくれる。小さな体のサインを無視し続けることの恐ろしさ。そして、「美しさ」とは、時に自分自身を傷つける刃にもなり得るということだ。