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私が市販の白髪染めをやめた日
私のバスルームの棚には、いつからか数種類の市販の白髪染めが常備されるようになっていた。30代後半から気になり始めた白髪は、40代を迎える頃には、生え際や分け目にくっきりとその存在を主張するようになった。美容室に行く時間もお金ももったいない。そんな思いから、私は手軽な市販の白髪染めに頼り切っていた。二週間に一度、まるで義務のように、ツンと鼻をつく匂いのするクリームを髪に塗り込む。その手軽さが、当時は何よりの魅力だった。しかし、その代償は、静かに、しかし確実に私の髪と頭皮を蝕んでいた。いつからだろうか。髪を洗うたびに、指に絡みつく抜け毛の量が増えたのは。あんなに自信があった髪のボリュームは失われ、ドライヤーで乾かしてもトップはぺたんこ。何より辛かったのは、常に頭皮が乾燥し、時折無性にかゆくなることだった。ある日のこと、合わせ鏡で自分の後頭部を見た私は、息を呑んだ。分け目を中心に、地肌が思った以上に透けて見えたのだ。「はげてる…?」その言葉が、頭の中で何度もこだました。ショックだった。白髪を隠すためにやっていることが、私から髪そのものを奪おうとしている。その事実に気づいた瞬間、私は棚にあった全ての白髪染めをゴミ袋に叩き込んだ。そして、震える手で、評判の良い美容室を予約した。美容師さんは、私のボロボロになった髪と荒れた頭皮を見て、何も言わずに優しく頷いてくれた。そして、頭皮に薬剤をつけない「ゼロテク」という技術で、低刺激のカラー剤を使って丁寧に染めてくれた。仕上がりの美しさはもちろん、頭皮が全くヒリヒリしないことに感動した。あの日、市販の白髪染めをやめた日から、私のヘアケアは一変した。時間はかかるけれど、頭皮をいたわることの大切さを知った。鏡を見るのが、もう怖くはない。
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白髪染めを我慢し続けた母の後悔
私の母は、昔からお洒落な人だった。白髪一本見つければ、すぐに鏡台の前に座り、慣れた手つきで白髪染めをしていた。そんな母の口癖は、「白髪があるだけで10歳は老けて見えるからね」だった。しかし、60歳を過ぎた頃からだろうか。母は、白髪染めをした後、きまって「なんだか頭がかゆい」とこぼすようになった。私が「一度、皮膚科に行ってみたら?」と勧めても、「大丈夫、いつものことだから」と、取り合ってはくれなかった。白髪がある自分を許せない母にとって、染めるのをやめるという選択肢はなかったのだ。その「いつものこと」が、悲劇に変わったのは、ある夏の日のことだった。白髪染めをした翌日、母の顔は、まるで別人のようにパンパンに腫れ上がっていた。特にまぶたの腫れはひどく、目がほとんど開かない状態。頭皮は真っ赤にただれ、黄色い汁が出ていた。慌てて駆け込んだ皮膚科で告げられた診断は、「重度のアレルギー性接触皮膚炎」。原因は、長年使い続けた白髪染めに含まれるジアミンだった。医師からは、「もう二度と、普通の白髪染めは使えません」と、厳しい言葉を宣告された。それからの母は、まるで抜け殻のようになってしまった。大好きだった友人とのランチも断り、家に引きこもりがちになった。皮膚炎の治療で抜け毛も増え、髪は見るからに薄くなった。あれほど気にしていた白髪は、根元からくっきりと伸びて、まだらに色づいた毛先とのコントラストが、痛々しさを際立たせていた。母は、鏡を見るたびに「あの時、かゆいのを我慢しなければ…」と、何度も後悔の言葉を口にした。母のケースは、私たちに重要な教訓を教えてくれる。小さな体のサインを無視し続けることの恐ろしさ。そして、「美しさ」とは、時に自分自身を傷つける刃にもなり得るということだ。
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白髪染めをやめたら人生が変わった話
45歳を過ぎた頃から、私にとって白髪染めは、終わりのない戦いだった。三週間に一度、鏡の中の、根元からのぞく白い侵略者たちと向き合い、うんざりしながらも薬剤を塗る。時間も、お金も、そして髪への罪悪感も、全てが重荷だった。でもある日、ふと思ったのだ。「私は、一体何と戦っているのだろう?」と。この白い髪は、私が懸命に生きてきた証じゃないか。そう思った瞬間、ふっと肩の力が抜けた。私は、白髪染めをやめることにした。もちろん、簡単な決断ではなかった。「一気に老け込むんじゃないか」「みすぼらしく見られないか」。不安は尽きなかった。美容師さんと何度も相談し、染めている部分と地毛の境界が自然に馴染むように、カットやカラーを調整してもらいながら、移行期間を過ごした。そして一年後、私の髪は、美しいシルバーグレイに生まれ変わった。白髪染めをやめて、私が手に入れたものは、想像以上に大きかった。まず、圧倒的な「解放感」。染める時間と手間、頭皮への負担、そして「白髪を隠さなければ」という強迫観念から解放されたのだ。浮いたお金と時間で、新しい趣味を始めた。次に、「新しい自分との出会い」。髪色が変わったことで、似合う服の色も変わった。黒や紺ばかり着ていた私が、赤やブルーといった鮮やかな色を好んで着るようになった。ショートカットに合わせ、大ぶりのピアスを楽しむようにもなった。周囲からは、「前よりずっと素敵になった」「生き生きしてるね」と言われることが増えた。白髪を受け入れることは、老いを受け入れることではなかった。それは、ありのままの自分を受け入れ、年齢を重ねることを楽しむ、新しいステージへの扉だったのだ。白髪は、隠すべき欠点ではなく、磨けば光る個性になる。私は今、心からそう思っている。